《活動7日目》 嵐の前の静けさ!

 一体どうした事か?
 
 海面を蝗が跋扈するが如く居た海賊が、すっかりと消えてしまっている。
 
 今までの戦いは蜃気楼とでも言うのだろうか?
 
 海賊が今日は少なく、それでも一応警備だけはしておく事にした。

 といっても、初めは少ない人間で釣りに興じていたのだが。

 この日は、傭兵と海賊、双方少人数しか集まらなかったが、
 血気盛んに、海賊のヒヨコちゃんが来たので丁寧に出迎えた。


 ふーむ、静けさが怖いな、何かあるのか?


【レポート1:傭兵の収入2
 前回に、傭兵の固定収入の厳しさに触れた。

 不衛生な粗末な食事にしかありつけなかった傭兵達。
 これは、傭兵の経営システムが問題とされていた。
 連隊長が、中隊長に中隊運営費を渡すのだが、この運営費は中隊長が勝手にやりくりして良い事になっていた。
 余って黒字になれば、己の懐に入れられる。
 足りなくなって赤字になれば、己の懐から穴埋め金出さねば成らないのだ。
 運営については、上からは得に口出しされない。中隊長の配分に完全に任されていたのである。
 そうなれば、中隊長達は、挙って財布のひもを固く縛る。
 軍事監察官に金を渡し、お目こぼしをもらい、穀物商や運搬商人たちと結託して己の利益をむさぼる事に真剣にだった。
 かびたパンを商人により、半値でかって、君主に出す勘定書では「まっとうなパンを買った全額」を請求していた。
 無論、国の規定で、パンの分量と成分などは決められていた。しかし、そのパン屋達も買収していたようだ。19世紀の産業革命の頃のロンドンでは、チョコレートのかさを増やすために「レンガ」をぶち込んでいたという。当時のパン屋では、藁クズやらが混じられていたらしい。

 えーっと、傭兵さん達は、そんなので戦争になるの?

 胃袋まで、タフガイなの?

 うん、当時の兵士さんは、戦闘中死亡者が全体の15%ならば、病死が75%と言われているね!

 みんな、栄養失調からの病気でおっ死んでいるんだ! ワッハッハ!

 それでも、なぜ人気だったか? 其れは、略奪にあった。
 今日の戦争では、一般人に攻撃する軍人は、糞虫のように言われる。
 当時の戦争では、「人権」というモノはまだ確立されていなかった為、民衆というのは「君主の品」であった。つまり、相手の品はぶっ壊してもOKPKだったのだ。
 豊かな時代に住んでいるとマヒしがちだが、食料や生活というのは安定しないのが基本である。
 自然の動物たちは、食い合って生命を動かしている。それが基本であり、まだ、この頃の人間は大きく自然的であった。(安定した食料の供給とは、季節や土地柄の改造などによる環境破壊に過ぎないので)
 
 略奪したモノは、各々の懐に収めれるので、これのおかげでようやく傭兵達は臨時的なボーナスを得ることができたのだ。
 ちなみに、略奪に熱心だったのは、傭兵の給料というのは定期的に支払われにくく数ヶ月滞るのが普通だったらしい。一年近く払われない事例もあったようだ。うーむ、なんともジリ貧な商売だな。

 まぁ、ほとんど末端だけだけどな。
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