今までは陸の仕事ばかりしていたので、
急に連続で海の仕事ばかりとなると、さすがに疲れるモンだ。
スケジュールが決定して、
これからは一日ずつ休みを挟まれるので、かなり楽になるだろうな。
さて、今回、傭兵達の編成を指示するのはドラビュアだった。
いつもは俺が、傭兵達を編成しているのだが、連隊長二人で編成が出来れば、片方が不足な自体に陥っても兵隊がちゃんと動けるわけだ。
数あわせに俺も出撃したのだが、操船士が用事があると言うので途中で下船。
そして、俺に舵が握らされる。
前回に言ったとおり、出来るだけ俺は丘にいて傭兵志望とかの人員を中隊に編成して海に送り込みたいのだが……やはり、出撃する事になるのか。
何かの、呪いか? と重い耽っていると鹿や鳥たちまで寄ってきて、
のどかな状況になっちまった。
海の上も、いつも程の賑わいじゃねぇし。
斥候部隊からも、「敵影がない」との報告。
気が抜けて、思わず船を浮かべて昼寝でもしたい気持ちに取り付かれちまった。
んでだ、今回は海賊の数も少なかったんで適当に切り上げる事にした。
時間もあるので、ヘイブンのオープンバーで傭兵達でミーティングを始めることに。
元々考えてだが、肥大化した傭兵達の仕事をまとめる必要があった。
ついでに、その件を済ます事にする。
大きくなれば、其れだけにしがちだが、様々な場所から集めた傭兵だけあって、社会的なルールも必要だ。
【レポート1:海賊にもルールがあった】
「ブラック・バート」と言われたイギリスの海賊、バーソロミュー。
海賊の時代が終焉にかかわらず、その圧倒的なカリスマで、各国の海を荒らしまくったという。しかし、そんな彼等もルールが有ったらしい。
* 乗組員全てに平等な投票権・投票発起権を与える。
* 仲間内で金品を窃盗・横領した者は孤島置き去りの刑。
* カード、サイコロを使った賭博の禁止。
* 午後8時消灯し、以降の飲酒は甲板にて月明かりのもとでのみ許可。
* ピストルやカットラスの整備の徹底。
* 女性や子どもを乱暴目的で船に乗せた者は死刑。
* 戦いの中で船を見捨て降伏した者は、死刑もしくは孤島置き去り。
* 船上での口論禁止。岸に着いた際に決闘により決着をつける。
* 収益は役割別に平等に配分。戦闘において負傷した者には手当てを別に支給。
* 安息日には音楽隊による賛美歌を奨励。
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こっちは、なにぶん堅気さんも多い傭兵組織。
決闘やらのアレはないが、経営管理などの問題だ。
議題はそれぞれあるが大きく分けて、
中隊長について、給金について、装備備品について。
@―中隊長の決定―
とりあえず、「ダリス」「アイ」の二人で決定した。
残りも、操船してくれる人間から募るつもりだ。
一番出る時で6隻でるので、俺とドラビュアが入れば5隻になる。
A―給金について―
中隊長は一度出撃ごとに5000GPの給金が支払われる。
一般の戦闘員は1000〜1500GP程度だろう。
さて、一般傭兵が稼ぎ遅れる事を考えて、その日の賞金首を決めることにした。
一番にその海賊の首級をあげれば、報償がその中隊に貰える制度だ。
そのためには、中隊のメンツを固定化する必要もある。
B―諸経費を抑える―
海戦の基本は、魔法とポーション(POT)、大群で追えばソレだけ消費する秘薬やPOTは増えていく。
それは、あまりにも膨大な浪費となるので、戦闘は20〜30分感覚に区切ることにした。
この間に死亡した人間は、
その戦闘の区切りが出来るまで再出撃が出来ないことになった。
C―傭兵連合の仕事時間―
通常の営業は22:00からになった。
無論、これは傭兵が独自に架すことであって、完全なルールではない。
とりあえず、決まったことは上記の通りである。
傭兵の諸君、また、これから傭兵に募兵しようとする人間は、
ぜひとも一読して欲しい。
それにしても隊員から、赤字云々、装備云々と意見がでると、本人はその気はなくても、傭兵らしい話題のようで思わず笑ってしまった。
うーん、しかし、海賊達の動向がないのが、怪しいところだ。
此方からも、ある程度の駒を進めておこう。
【レポート2:傭兵の収入】
さて、俺たちの組織では中隊長の賃金などが決まったが、実際の傭兵の収入は如何だったのか、その話でも今日はしてみよう。
大概、傭兵達の賃金は、ダラーの元になった、ターラーといわれる銀貨で支払われていた。ゲーテ(1749-1832)の時代は、1ターラーあたり、22500円だったらしいが、百年前の事は当てにはできん。
バッハ(1685-1750)の月収は、50ターラー。
1650年頃の傭兵の募兵賃金は、3ターラー。
1670年頃の傭兵の募兵賃金は、12ターラー。
バッハは金持ちだと思っても、この頃の音楽家は音楽ができる、専門の召使いという考えだった。貴族にとってはまだ安い金額だが、比例にはなろう。
これを見る限りは、農民にとっては、なかなか傭兵は儲かる仕事である。高い時に一ヶ月働けば、12×12(傭兵は月給だったらしい)=144ターラーだ。
ただし、1670年頃は、「需要」が「供給」に追いつかなくなったので、4倍にも跳ね上がった。つまり、70年代の傭兵は良い仕事とは言えなかった。
1650年頃の傭兵は、1500人を募兵すると、1700人は募兵が集まっていた人気職業とされている。
さて、絵画や版画、築城術なので知られているアルブレヒト・デューラー(1471-1528)のネーブルランド旅行記では、「肉とパンに10ターラー。玉子と梨に9ターラー」を支払っている記述がある。
なかなかのリッチ旅行である。
この頃の貨幣の鋳造というのはバラツキがあり、値段が怪しいモノであった。だからこそ、「悪銭鋳造の変動によって固定給の人間が傭兵に参加しなければならなかった」、そのことは前回に書いたとおり。
傭兵に参加するということが、どれだけ立場的にやばかったか、理解できるだろうか? 金持ちの一日の食事が月給以上だ。もちろん、これは一般兵の話で、士官、将校クラスは遊び回れる金をもっている。
「傭兵さん、暮らせないじゃんか?」と思われる方がいるだろう。
傭兵物語といわれる「阿呆物語」を著したドイツ、バロックの代表的作家グリンメルスハウゼンの記述にこういったモノが見つかった。
「葡萄酒やビール、肉にありつくことはほとんどなく。リンゴとカビの生えた固い黒パンが最上のご馳走であった」
下郎で野卑な傭兵にあこがれるのは人が多いのは分かるけど、実際はこういう仕事だ。実際、本気でご馳走だったから洒落に成らんのだ。
傭兵の、固定収入とは、その程度である。
固定収入では、傭兵暮らせない。
なぜ、その様な事態に陥ったか、それは次回に説明しよう。
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